私が暮らした限界集落

今回は私が住んでいた田舎での暮らしについて書いていこうと思う。

私が家賃6000円で借りていた一軒家のある地域は、陸の孤島と揶揄されるその町にあってなお最果てとされており、世帯数10余り、そのいくつかが市内に住む家族の元に身を寄せており、実質定住している世帯が10を切るという有様だった。

ほとんどの国民にとって、限界集落など冗談のように聞こえるかもしれないが、その頃の私にとっては正に身に迫るリアルであったのだ。

まず、そのコミュニティでは60代が若手とされており、当時20代だった私は奇跡の世代と呼ばれ、かといって重宝されていた訳でもなく、月に一度の町会では蚊帳の外で謎の対立構造を垣間見せられ、どうして10世帯程度が丸く纏まれないのだろうと思い、世界にはきっと平和など永久に訪れないのだと確信させられたものだ。

実生活はどうかというと、京都にあってここは雪国かと思えるほどの積雪量を誇るこの地域にあって一番辛い季節が冬であり、誇張でなく越冬が命懸けとなってくる。

雪がドカ降りする度に埋まる車、借りていた一軒家は隙間風が吹き込んできて、部屋に置いてあった缶コーヒーが朝起きたら凍っていたという事もある。

ボタンひとつで風呂が沸くのが当たり前の現代にあって、私の借りていた家は釜風呂であったため薪を割るところから始めなければならなかった。お陰で私の特技の一つに薪割りが追加されたのだが、それ以降の人生でこれが活かされたためしはない。

修行僧でもないのにあらゆる不便を享受してきた上での当然の帰結として、現代人がこんな所に住む必要はないという結論に至った次第である。

この地域は林業が盛んであり、その気候が木の生育に適していたが為に人々はそこに住んでいた。

限界集落とは、役割を終えた地域なのだ。大型店舗の出現によって多くの商店街がシャッター街と化したように、時代の流れとともに幕を閉じる地域もあるのだろう。

だが、温故知新という言葉がある。限界集落にいまなお根付く風習や近所付き合いの中に、現代人が進歩の過程で置き忘れてきた大事な何かが存在するのも確かだろう。

何故なら私は、現在の隣人の顔も名前も知らないが当時のご近所さんたちのそれはしっかりと憶えているのだから。

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