私の愛する動物園に思うこと

市の動物園にレッサーパンダがいるのが私の密かな自慢だ。可愛さにステータスを全振りしたようなこの生き物は見る度に骨抜きにされてしまう。

意外と爪が鋭く、スルスルと木登りする身体能力を見るに野生で遭遇すれば無事では済まないだろうが、動物園にいてくれる分には安心して眺めていられる。好きな時に見にいってその愛らしい姿や仕草を堪能して満たされた気持ちで帰ることが出来る。

私は動物が好きだ。幼稚園の頃の夢は動物園の飼育員さんだったのをおぼえている。残念ながらその志は長ずるにつれ動物への畏怖の気持ちが強まったことから薄れていってしまった。臆病な自分は檻を排して動物と向かい合うだけの勇気を持ち得ないと気付いたのだろう。そんな私が惹かれながらも恐れている動物達と接する事が出来るのは動物園があるからに他ならない。

このように私にとっては感謝の絶えない動物園であるが、動物愛護の観点からこれに反対する人もいるという。本来、自然の中で生きている筈の動物を施設に閉じ込めて見せ物にするのは間違っているという事らしい。これはこどもの頃から幾度となく動物園で動物を見てきて、彼らが可哀想に見えた事のない私にはない発想だった。

彼らにとって動物園で飼育されるか野生で生きるかのどちらが幸せかなど私の知るよしもないが、何の動物も飼育下にあった方が長生き出来るのは確かである。以前、オーストラリアで大規模火災が起きた際には大量のコアラが焼け死んだものだが、一方で東山動物園のコアラはそのような脅威にさらされる事なく無事生涯を終える事だろう。コアラというのは1日の殆どを主食であるユーカリの毒素を分解する為に木に掴まって寝ているそうだが、だとするとオーストラリアのコアラも東山動物園のコアラも場所は違えどやっている事は同じなのである。極端な例であるが、この場合に野生と動物園の個体とで幸福度にどれほどの違いがあるのだろうか。

浅薄な考えなのだろうが、素人の私にそんな事を思わせるほど動物園というのは飼育下の動物に配慮しており、実際に動物福祉に取り組んでいるのだろう事は想像に難くない。そしてオーストラリアのコアラだ。もし、この国に動物園が存在せずコアラというのがオーストラリアという国にいるらしいテレビの中だけの存在だったとしたら、彼らが大規模火災で大量に犠牲となったと聞いて我々はこれほど心を痛めただろうか。彼らを身近に感じる機会があったからこそ、その保護に対して支援しようという気になったのではないだろうか。東山動物園が行った野生コアラ救済支援の募金には835万集まったという。

少なくとも私は動物園がなければこんなに色んな動物を好きにはならなかった。間近で見た事もない動物が遠くの国でどんな目に遭っていようが何も感じなかっただろう。自由を奪われたかも知れない東山動物園のコアラは人々の心を動かし、過酷な自然環境で生きる同族の命を救ったのだ。

この一件を見ても私は動物園は必要だと思う。それを人間のエゴとする意見もあるだろうが、動物と接する機会もなく人間ばかり見て育った先に動物愛護の精神などが芽生えるものだろうか。世界中の動物が集う場が身近にあってこそ地球は人間だけのものではないと感じることが出来るのだと私は思うのだ。

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