妹について

唐突だが、私は妹が好きだ。その理由を挙げればキリがないが、その嗜好を決定付ける最たるものは実在しないというところだろう。仮に私に妹がいたとしたらそれは単なる現実であり、そこに理想を差し挟む余地はなく、創作において何かと妹属性を付与したがる業を背負うこともなかったはずである。

ちなみに私には実在する姉がいる。幼少の頃から弟のなんたるかを私に叩き込んでくれた偉大な存在だ。姉に逆らうことの愚かしさや、時には意に沿わぬ服従を示すことで平穏を得る賢明さ、調子に乗った自分が如何に気持ちの悪い存在であるかなど、日常のあらゆる場面で心を鬼にして教育してくれた。

私が小学校低学年のころ、女性が荷物を持っている時は「持とうか?」ではなく「持つよ」といって代わってあげるようにと教えを受けたのを今も憶えている。それが正しいのか間違っているのか定かではないが、少なくとも現在の私の行動規範に多大な影響を与えているのは確かだ。

一方で私は大人になってから姉に衝撃的な告白をされたことがある。ちょうど先に述べたような教えの数々を受けていたころの事を姉は「あれは軽く虐待やったな」と振り返ったのだ。私自身、全く覚えが無い訳ではなかった。激怒した姉に蹴たぐり回されていた記憶は確かに存在するのだ。とはいえ、年の近い姉弟というのもあって、私は姉が本気で蹴っているとは夢にも思っていなかった。なにか怒らせてしまった自分が悪いと素直に受け入れていたように思う。

良くも悪くも実在する姉というのはどこもこんなものだろう。なんだかんだでいざという時は連帯感を発揮したり、変な所で笑いのツボが被っていたりするときにふとやっぱり自分の姉なんだなと感じるくらいだ。別段、理想の姉というのを思い描くこともない。

一方で妹は無限の可能性を秘めている。非実在だからこそその時々で理想の形に姿を変えてくれるのだ。故に私は現実に妹がいればなどと無粋な空想を膨らませることはしない。あくまで追い求める理想の対象として妹という概念が存在するのである。

この画像のキャラクターが今の私が思い描く妹である。おそらくは現実を顧みないあざとさが多分に含まれているだろう。実際に妹を持つ方からはこんな妹がいるわけが無いとご指摘を受けるかもしれない。

だが、それでいいのだ。世の中には現実に姉を持つ私もいれば、理想の姉を思い描くあなたもいる。かといって、私は己の知る現実を根拠に誰かの理想を笑うつもりはない。なぜなら、私は理想の美しさを知る者の1人だからである。

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