現代民俗学研究会会員No.9214定期報告/怪人クラブおじさん

先日、師である東の怪談蒐集家(ピースメーカー)こと蒲郡義信氏と参加した現代民俗学研究会オンライン会合にて気になる報告が挙げられた。報告者は過去に私が籍を置いていた京都支部の灰谷氏で、私の育った田舎でとある怪人の噂話が広がっているというのだ。
画像はこの怪人「クラブおじさん」を目撃した児童から京都支部に送られてきた似顔絵である。その名と似顔絵を見て私が顔色を変えたのを灰谷氏は見逃さなかった。
「沓浦さん、なにか知っているのかい?」
暗黒の高校時代の記憶が過り、苦い顔で黙り込む私を灰谷氏の鋭い視線が捉えて離さない。
「黙ってちゃあ嫌だぜ。この怪談の現場はアンタの古巣だって話じゃないか。怯えるこども達を安心させてやるために怪異の真相を究明してやるのもあたしら現民の勤めってもんだろう」
ニヤリと口元を歪ませるこの男が面白がっているだけなのは自明の理である。とはいえ、言っていることはもっともなので私に反論する余地はなかった。
私は小さく溜息を吐くと、クラブおじさんについて話し出すことにした。

まずはクラブおじさんについて以下に説明しておこう。
・外見はキャップを被ってポロシャツを着たどこにでもいる初老の男性である。
・いつも右手にゴルフクラブ(アイアン)を持って小・中・高校の通学路に出没する。
・おじさんと目が合って通り過ぎようとすると甲高い声で「お前もやぁ!」と叫んで追いかけてくる。
・おじさんに捕まった者がどうなったかは誰も知らない。

私の高校時代に流行った噂はこんなところだと話すと灰谷氏は大仰に興味深げな顔をして、
「へぇ、よくある話といえばそれまでだが……。して、沓浦さんはクラブおじさんを見たことがあるのかい?」
蛇のような目つきで核心を突いてくる。これは言い逃れが出来ないなと観念した私は真実をありのままに語ることにした。
「ええ、私は彼を見たことがありますよ。おそらくは私が最初の目撃者でしょう」
そう白状した私にモニター越しの灰谷氏は椅子に座ったまま飛び跳ねる。
「こりゃあ驚いた!アンタって人は憎たらしいほど怪談に愛されているんだねぇ。是非とも詳しいところを教えてもらいたいもんだ」
凡そことの次第は予想しているだろうに意地の悪い聞き方をしてくる。

あれは高校三年生のころ、季節はちょうど梅雨時で陸上部に所属していた私は雨上がりのむっとする空気の中、カビの臭いが立ち上るアスファルトを走っていた。
どぶ臭い溝と田んぼに挟まれた道の上には夥しい数の小さな蛙が這っており、踏み潰された死体が放つ生臭さが余計に気を滅入らせてくる。
殺人鬼の類というのはこんな季節を好むのだろうな。なんとなしにそんなことを思いながら走っていた私はふと前の方から男性が歩いてきているのに気付いたのだ。

田んぼ沿いの道であるし、キャップにポロシャツ姿の男性が歩いていることに何の不思議もなかった。ただ、その右手にゴルフクラブを握っていたことに私は違和感をおぼえたのである。こんなところでゴルフの練習もないだろう。そう考えた私はその男性についてよくない想像を膨らませていったのだ。
なんということはない。今もそうだが、退屈な日常に飽いた私がよくやる癖の一つである。そうして自分の不安を煽っては何もない日々にスリルを求めるのだ。

あれは精神病を患った男性でゴルフクラブを片手に徘徊しては誰彼構わず襲い掛かる人物だとしたらどうだろう?通り過ぎようとした途端、奇声を上げて追い掛けられたらどうすればいいだろうか?
ランニングで心拍数が上がっていたことも手伝ってか、私はそんな自分の想像にまんまと肝を冷やして緊張を高めていった。
このままいけば自分の身になにかとんでもないことが起こる。そんな期待と不安を胸におじさんとの距離を縮めていった私だが、当たり前といえば当たり前で何事も起こることはなかった。擦れ違ってからしばらくして振り返ってみてもあちらが立ち止まってこちらを見ているなどということもない。

なんだ、とがっかりした私はこのまま終わるのはなにか悔しい気がして、ランニングを終えてグラウンドに戻ってから部の後輩に大変な目にあったと話して聞かせたのだ。
今しがたランニングをしていたら向こうからキャップを目深に被った初老の男性が歩いてきた。なにか変だと思ったら一心不乱にゴルフクラブを振り回しながら歩いているのである。
恐怖を感じたが背中を向けて逃げるのは癪なので、警戒しながら走って男性の横を通り抜けようと考えた。数歩先に迫っても男性は特にこちらを気にする素振りはなく安心してそのままサッと擦れ違って走り去ろうとした。
その時である。「お前もやぁ!」と男性が甲高い声で叫んだかと思うとゴルフクラブを振り上げて追い掛けてくるではないか。
度肝を抜かれた私は全力で逃げ出した。日頃から長距離を走っている自分でも引き離すのに苦労するほどの体力の持ち主だった。これが小学生や中学生ならまず追い付かれていただろう。
「ユキ、こんな話知っとるか?うちの妹が聞いてきたんやけど」
私がクラブおじさんの噂をクラスの友人から聞くことになったのはそれから2週間後の話である。

私が語り終えると灰谷氏はニヤニヤと笑みを浮かべて口を開いた。
「恐れ入ったよ。沓浦さん、アンタも罪な人だねぇ。ええ?20年近くも前の嘘がいまだに地元のこどもらを怯えさせるたあ、こりゃ現民冥利に尽きるってもんじゃないか」
話すことは話した、後は好きに言ってくれと憮然と口を閉ざす私に面白がっていた灰谷氏はふと哀しげな顔をして、
「すると、手紙をくれた子がクラブおじさんを見たってのはガセだったってことになるのかねぇ」
不思議な男だ。人を食ったような性格をしているくせに、こどものいう事はまるっと信じてしまうのだから。
「いえ、そうとも限りませんよ。なんせあそこは田舎ですから、ゴルフクラブどころか鉈だの鎌だの当たり前に持ち歩いてる人なんてどこにでもいるんです」
やや気落ちする灰谷氏を励ますでもなく私見を述べると灰谷氏はどこか気の抜けた顔をして、
「へえ、それはそれで平和というか恐ろしいというか。あたしの地域でそんなの見かけた日にゃ即通報もんだよ」
生まれも育ちも洛内(京都市内)の彼には私が青春時代を過ごした田舎の日常風景など想像もつくまい。
だが、そんな時代の流れに取り残された秘境だからこそクラブおじさんは生まれ今なお生き続けることが出来るのだ。

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